推しを観ながら飲む酒は美味い

若手俳優を追っかけてる三十路

私は後悔したくない

前回の記事にスターがたくさんついて驚いた。

beeeni0825.hatenablog.com

こんな愚痴を吐き出した記事を閲覧し、スターをつけてくれて感謝しかありません。ありがとうございます。
こんなマナーについて云々言ったので、自分ではマナーを守ってると思ってるけど、改めて自分自身を見直そうと思いました。
誰かに迷惑をかけてまで観劇したいとは思いません。

 

 

最近の記事はお口が悪かったので、今回は楽しい話を書こうと思います。
と、言ってもなにが楽しい話なのか思いつかない…楽しいってなだろう?
板の上に立つ推しを見て楽しいと思う。推しがツイートすると嬉しいと思う。推しがブログを書くと指先が踊りながら画面をスクロールしている。
けどこの楽しいって本当に楽しいなのかな?と、ふと思う。
楽しい半面、その裏にある恐怖を感じてしまう。
この恐怖っていうのは、完結に言えば「死」である。

 

 

私は元々バンギャ(ビジュアル系を好きな人のことを言う)で、好きなバンドがあった。
10代、20代はそれにすべてを捧げてきたと言っても過言ではない。
そのバンドはずっと解散する、次は解散だ、と言われながらも長いこと活動してくれて、これだけ解散するって言われているけどここまできたらもう解散しないんじゃないか?と思ったところで解散を発表した。
ビジュアル系では解散なんてよくある話で、それと同じぐらいに再結成もよくある話だった。なので解散ライブを終えたあとには友人たちと「再結成が楽しみだなー」なんて言いながら焼肉を食べたものである。
が、そのバンドは二度と再結成することがなくなってしまった。
二度と彼らの奏でる音を、歌声を、あの雰囲気を感じることができなくなってしまった。
それはメンバーの1人が死んだからだ。


 

バンギャにはよくある話だろう。後追い自殺を考えた。
どうやったら死ねるかな?
睡眠薬を大量に飲もうか、首を吊ろうか、線路に飛び出そうか、手首を切ろうか、どうしたら死ねるだろう。ああ死にたい。この世界に生きていたってあの音をもう聞けないなら死んだほうがましだ。死にたい死にたい死にたい。
そんなことを四六時中考えるくらいに私はそのバンドが好きだった。

一番死にたいと思ったのは、親に「そういえばお前の好きなバンドのメンバー死んだんだってな?大丈夫か?」と言われたときだ。
まさか親の口からそんな話が出てくるとは思いもしなかった。
なぜなら私は親にバンドの話をしたことがないからだ。なんで知ってるんだ、私がそのバンドを好きなことを。なんでそのバンドのメンバーが死んだことを知ってるんだ。
なんで?なんで?
そう思うのと同時に、ああ、こんななにも知らない私の親ですらメンバーが死んでることを知っているのは、それが現実なのか。これは本当に現実なのか。本当にメンバーは死んだのか。
と、現実を叩きつけられ、私は大丈夫と言いながら死ぬほど泣いた。
私とバンドだけだった世界に、親という現実世界が殴り込んできて、それが辛すぎて死にたくなった。


結局自殺未遂もすることなく、元気にいまも生きているのは、死んだメンバーの母親に会ったからだ。
「1人でもあの子のことを覚えていてくれる人がいて欲しい」
そう、言われて死にたいと思っていた私の気持ちは消えた。
私が死んだらあの人のことを覚えている人が1人減ってしまう。この遺された母親にあの人の話をしてあげることができない、遺された母親からあの人の話を聞く人間がいなくなってしまう。
そう思って死のうなんて考えは捨てた。
メンバーが死んでもう何年も経つけれど、いまだにメンバーの母親とは連絡を取り合っていて、毎年命日には花を贈り、母親からは感謝のメールと美味しいぶどうが届いたりする。
バンギャをしていたときはこんな風にメンバーの母親と話をする日が来るなんて思いもしなかったから、運命って不思議だなと思う。



まあ、そんなわけで、私はいつ人が死んでも後悔しないようにしようと思った。
いつ会えなくなっても後悔しないようにしよう。
それが根本にあるので、いまの推しがいつ死んでもいいように、いつ引退宣言してもいいように、私は自分が後悔しないように応援していきたい。
こう言うとバンギャ時代に後悔したのか?と思われそうだが、後悔はしていない。
私はバンドを必死に応援していたし、お金というお金はつぎ込んだし、人には言えないような仕事をして稼いだお金で高額なプレゼントを持って日本列島を駆け巡っていた。
後悔したといえば、もっと真っ当な人間になりたかったな、という後悔はある。
が、それを選んだのは自分だし、それをしていなかったらいま後悔に包まれてそれこそ自殺していたかもしれない。
もっと私がお金を使ってたらバンドは解散しなかったかもしれない、もっと私がライブに行っていたらメンバーは死ななかったかもしれない。なんて、馬鹿みたいなことを考えてたかもしれない。
私一人のお金で解散を止められるわけがない。
私がお金を使おうが、使わまいが、バンドは解散したし、メンバーは死んだ。
それはきっと変わらないし、変えられない。そういう運命だったんだと思う。
ただ、私が後悔はしなかった。それだけだ。


私が長いことバンドに通って、嫌というほど理解したのは人は簡単に死ぬということだ。
昨日までの当たり前が明日からは当たり前じゃなくなるということだ。
大好きな人が明日から私の知らないところへ行ってしまうということだ。
そしてもう二度と会えなくなってしまうことだ。
声を聞くことも、笑顔を見ることも、触れることも、なにもできなくなってしまうということだ。

 


私が私の限界で応援するのは私が後悔しないため。
私は私のことしか考えていない。
私が後悔しないだけの数の舞台を見て、私が後悔しないだけのお金を使い、私が後悔しないように推しを見守っている。
後悔は先には立たないとは、本当に本当にそう思う。
あのときああしていれば、こうしていれば、あれをやっていれば、ああ言っていれば、あそこに行っていれば、なんて後悔はしたらキリがない。
そうならないためにも、私は私が後悔しないようにこれからも推しを応援していきたい。
推しがいつ死んでも、いつ引退してもいいように。
楽しかったよ、と笑顔で言えるように。


いや、なんか話がそれた。楽しい話から後悔しない話になっている。
うん。でも私は後悔しないようにすぐ隣にある死を感じながら、推しを応援しているのは楽しい。
別に推しが死にそうなわけでも、引退しそうなわけでもない。たぶん。
推しが1日でも長く板の上に立っていてくれますように。